卓球の試合後の態度について考えませんか?
「そんな握手なら、しないほうがいい……」

 試合後の態度について質問が寄せられました。
世界卓球・横浜や先日のジャパンオープン荻村杯を観戦していても、たしかに「あの握手はないだろう」「あの態度はなんだ」という光景を何度か目にしました。
そこで、今回の指導者論はこの「試合後の態度」について展開してました。
ぜひ、全国の卓球指導者のみなさんとともに考えてみたいと思います。

Q いつも楽しく読ませていただいております。まことと申します。
世界卓球、TVでみていたのですが、技術の質問ではなく恐縮なのですが、ふと思った事がありました。
それは卓球は総じて、試合後の握手が淡白すぎるということです。「悔しい」よりも「不機嫌」に近い表情で、「触れた」という表現が一番正しいのではと思うほどの握手。もちろん個人差はありますが全体としてそう見えます。
秋場さんのパーフェクトマスターにも、試合が終わったら敵も味方もない。悔しくても気持ちよく挨拶を。と書かれていました。本当にそう思います。
せっかくTV放送されても試合後にアレでは観ているほうの気分も悪いし、スポーツとしてのイメージが下がります。卓球の試合後の握手見ていて不愉快だから、あんなのならしないほうがいい、と…知人にそう言われ悲しくなりました。
私達、個人レベルでは「自分がそうすればいい」とか「所属グループでそういう方針をとればいい」と思いますが、トップ選手があれでは…
今の子供たちに、指導者がそういった考えを徐々に定着させるような、長期的にでしか達成できないことなのかもしれませんが…
秋場さんはどうお考えですか?

A 試合後の握手や表情などの態度についてですが、これは個人や所属チームの問題であるとともに、それはそのスポーツ種目の「文化」であると考えます。

この文化とは、そのスポーツが有している雰囲気や流儀、プレーヤーや指導者、アンパイヤーなど、そのスポーツを構成するメンバーの態様の総体です。そのなかにこの試合後の態度も含まれます。

たとえば、ラグビーは試合終了を「ノーサイド」と呼びます。ゲームが終われば、敵も味方もないということで、その言葉には、もともと「同じ人間じゃないか」というニュアンスも含んでいると、ぼくは勝手に理解しています。

対戦相手を「敵」などと表現するから、なにかしら自分に敵対する悪い者という先入観がひそんでしまいますが、その敵が存在しなければ、競技スポーツは成立しないのです。
これはちょっと考えれば、だれにでもすぐに諒解できることなのですが、意外とぼくたちはこのことを忘れて、試合でやっつけられた相手を憎らしく思ったりしてしまいます。でも、対戦相手からみれば、自分は「敵」であり、勝負の結果によっては対戦相手から憎まれることだってあるのです。

その辺のところをラグビー界はうまく汲み取って、試合終了をノーサイドという用語にしたのでしょう。ラグビーは格闘技に近い非常に危険なスポーツで、これに「敵だ、味方だ」なんて、感情面に波及してしまうと、すぐにケンカになってスポーツにならなくなってしまうでしょう。だから、そうならないような「文化」を歴代のラグビー界の人たちはつくりあげていったのです。そして、そのようなラグビー界の文化が「ノーサイド」という素敵な用語を選択させたのでしょう。

さて、では、わが卓球界の文化とはいかがなものでしょう。まず、その特筆すべき点は、かなりフェアなスポーツマンシップがひろく行き渡っていることです。

それはもちろん、ジャッジについてです。そう、ネットインとエッジおよびサイドの判定で、自分に有利な判定を審判がしても、それが間違っていれば、自分が不利になるにもかかわらず、自ら申告して正すことです。

あまたあるスポーツ競技のなかで、自分に不利になるように、自ら申告するスポーツはぼくが知る限り卓球だけです。もし、そんなスポーツがあるなら、ぜひ教えていただきたい。

かすかにボールが触れる、サービスのネットとかラリー中のエッジなど、あなたも審判をされるでしょうからわかると思いますが、正直、審判席からでは、そのボールが触れたことを見逃すことが多いものです。

いちばん正確にジャッジするのはプレーヤーでしょう。だから世界選手権でもオリンピックでも、サービスのネットなんて、ほとんど先にプレーヤーがアピールして、それを審判がなんの疑いもなく認めて、そのとおりにジャッジされて、対戦相手の双方もそれにすんなりと従います。まあ、こういうような流儀にしないと、ネットインとかエッジをかかえる卓球はなかなかスムーズに進行しないでしょう。

ときには「世界卓球・横浜」の男子ダブルス(岸川・水谷組)のように、サイドかエッジでもめることもありますが、多くの場合、双方のプレーヤーのジャッジが一致してそれを審判が認めて、この微妙な問題もスムーズに解決されます。

このような流儀も、これまで卓球界のメンバーがつくりだしてきた知恵でありそれは文化でもあるのです。

では本題の、試合後の握手や表情などの態度についてですが、ご指摘のとおり、個人によって異なるものの、おおむね洗練されているとは言いがたいですね。とくに世界選手権やオリンピックなどの国際大会のほうが日本国内よりも素っ気ないようです。

「卓球の試合後の握手見ていて不愉快だから、あんなのならしないほうがいい、と…知人にそう言われ悲しくなりました」
とありますが、たしかにあんな握手ならしないほうがいい、と思うプレーヤーもいます。もちろん日本のプレーヤーも例外ではありません。ぼくはとくに、日本の女子選手が目に付きます。

先日のジャパンオープン荻村杯はネット動画(ITTV)で観戦しましたが、石垣優香と対戦した福原愛のマナーには驚きと怒りと悲しみが湧きました。私と同じ思いを抱いた卓球ファンも多かったのではないでしょうか。

福原はデュースで1ゲームを落としたとき、自分のラケットをテーブルの上に放るように置いたのです。(私はこの時点で、このゲームを観るのを止めました。これ以上、観る気にならなかったのです)

ゲームに負けてラケットを投げる選手を時々見かけます。それももちろん見苦しい行為です。しかも、テーブルの上にラケットを放るように「置く」のは、卓球プレーヤーとして、絶対にやってはならない行為です。テーブルに疵がつくからです。その疵の部分にボールが当たるとイレギュラーバウンドします。そうなると、見苦しいマナーというだけではなく、物理的にプレーに影響を与えるのです。ですから、テーブルに疵をつける行為は、それを行った時点で「失格」に充たるものです。

この福原の行為は新聞でも報じられていました。私はこの卓技研のサイトで、このことを書くかべきかどうか躊躇しました。やはり卓球ファンとして、愛ちゃんのことを悪くは書きたくないからです。でも、やっぱり書くことにしました。それはあのような行為を今後、誰の試合であっても見たくないからです。そのために、あえて書くことにしたのです。

全国の卓球指導者のみなさん、「マナー指導」もよろしくお願いします。これは自戒を込めて、律してゆきたいと決意しています。やはり、何より卓球文化は矜持したいですから……。

さて、試合後の握手です。試合に負けると悔しいし、多くの観客がいる前ではテレもある。そんな内面は、対戦相手と握手をするとき、ごくしぜんにあんな素っ気ない握手にもなっていない握手になってしまうのでしょう。まあ、率直といえば率直、幼いと言えば幼いといえます。

これも卓球界の文化です。ネットインやエッジボールで得点すれば、「失礼」と手をあげる流儀がある卓球ですが、残念ながら、試合後の態度については、洗練されているとは言いがたいですね。

それでは、いまここから始めませんか。試合後の握手や表情などの態度を気持ちよくする
卓球文化をつくることを。

いまぼくの目に浮かぶのは、試合後にプレーヤーがネットをはさんで握手したり抱き合う
テニスの国際大会の光景です。テニス界のことは詳しく知りませんが、ぼくがテレビで観るかぎり、テニスの国際大会では、試合後の態度はかなり気持ちいいもので、卓球もあんなふうであればいいのになあと思っています。

試合直後、負けた方は悔しさに満ち、勝った方はうれしさでいっぱいですが、勝者敗者双方とも戦った相手を讃えあって、感謝の気持ちをあらわしたいものです。ぼくはこれまで、自分が指導する生徒たちに、試合が終わればしっかりあいさつと握手をするように言ってきましたが、今後は、「相手を讃えあって、感謝の気持ちをあらわす」ことの大切さも指導します。

ちなみに、卓球の伝統校とか名門、強豪などと呼ばれている中学や高校では、かなりきびしくあいさつなどの礼儀を指導するものですが、それは大会での礼儀についても同様です。
たとえば、団体戦で出場メンバーが台をはさんで並びあいさつしますが、強い学校ほどしっかりとやるものです。

これはそういう「練習」を実際にやるのです。指導者が言葉だけではなく、実地で試合と同じように並ばせてちゃんとできるまで声と所作を何回も訓練するのです。これは礼儀作法という道徳面だけではなく、メンタルの強化も含まれているのです。

強い学校の指導者ほど、「あいさつをしっかりやると強くなる」ことをよく心得ているのです。

大事な試合に負けた直後、その絶望的な悔しさをこころの底にぐっと押し込め、いま激戦をともに戦いあった相手に感謝と、そのすばらしいプレーを讃えることを表しながら握手ができるとしたら、その選手は、そうできなかった選手よりも伸びしろが大きいでしょう。それは卓球選手としてはもちろん、人生のプレーヤーとしても。

以上のテーマは人間の最大のテーマである「自我」とリンクしており、このテーマの真意とその実践がともなうなら、人と人が殺戮しあう戦争は起こらないはずです。

ともあれ、あなたのご質問を契機に、卓球界に「試合後の態度」を見直す機運が生まれれば幸いです。ともに、気持ちいい卓球文化をまず自分の足元からつくっていきましょう。

卓技研・秋場

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